紐の話を聞いてください。
買った食器の裏に付いた値段のラベルとか、ほつれて出てきたセーターの糸とか、ちゃんと剥がしたり切ったりするタイプですか?
私、そういうの全然駄目で。
この前引っ越しの時に食器を梱包してたら、4年前に買ったマグカップの裏に値札が付きっぱなしだったくらいなんです。だから、変だよなって。
私の実家は■■の■■半島の、ちょうど市と市の堺にある、なんていうか中途半端な田舎なんです。
大きいイオンと土着のドラッグストアとかホームセンターはあるけど成城石井とタリーズはないみたいな。
田舎具合も残念で観光資源になるような深い自然は無いくせ、グーグルアースで見るとやたらと茶色と緑多いんですよね。
実家の周囲は元々は近くにある小さな神社の氏子の集落だったらしいですけど、私の実家含めて宅地開発で一気に所謂よそ者も増えてきて、ずっと住んでる方が6割、残りが越して来た新入りってくらいでした。
大それた言い方をすれば、そうやって古くからの文化と新しい文化が微妙に混じり合った地域というか、子供ながら緊張感というか人間関係にも変な均衡を感じる瞬間がぽろぽろあったりして。
地域には結構大きな川もあって、■■湾の海水と河川の真水がちょうど混じり合ってるんですよね。こうやって言うといかにも比喩的ですけど、特に意味はありません。
昔は灌漑水路が整備されてなかったせいで海水が稲作用の水路まで上がってきてしまって、ひどい飢饉が何度か起きたらしいです。今回の話とは、これも別に関係ないんですけどね。
それで、さっきも言ったように実家は本当に区画の堺にあるんです。10歩も大股で歩けば隣の市に入れちゃう。
今は市ですけど昔はやっぱり村と村の境界で、それでも普段は境界がどこかなんてわからないですし意識もしてませんでした。
ただ9月に入ると、一目でわかるんですよね。昔区切られていた集落と集落の境に、分かりやすい目印が立つから。
田舎とはいえ、流石に道はもうどこもアスファルト敷きです。その道を挟むようにして2、3メートルくらいある竹を立てて、車や通行人が引っかからない高い位置に藁縄を結んで渡して、そこに小物をぶら下げるんです。絵馬とか草履とか藁で作った人形とか。
ぶら下げるものは、集落ごとに少しずつバリエーションは違うみたいですね。私も、全部を見たわけじゃないので詳しくは分からないんです。
それこそ藁人形なんてモロそれっぽいので初めて見る人は大体ぎょっとするんですけど、実際は厄除けっていうか、外から集落に悪いものが入り込まないようにっていう習俗なんです。ただ、燦々とした明るいコンビニなんかがある公道に唐突に藁人形なんかぶら下がってたら、普通はやっぱりびっくりしちゃいますよね。
あと、藁人形や草履はね、わざと下手くそに作るんです。
この村には手先が不器用でろくな仕事ができる人間がいませんよ、入ってきても何もとれませんよって言う意味で。
隣の境界では、木材で作ったサイコロを提げてました。ギャンブルばっかりするろくでなししか居ないですよって意思表示なんだそうです。
ああ、藁で作ったタコをぶら下げる地域もあるそうですよ。そう、海産物の方の。悪いものをよく吸うようにってことらしいです。それで疫病だとか悪い気なんかを吸い尽くすと重みで勝手に落ちるとか。
藁人形や絵馬も、同じ意味があるらしいですよ。悪いものを吸って重くなって勝手に落ちるって。多分風に吹かれるうちになんでしょうけど、気づくと消えてましたね。あのあたりは、とにかく風が強いんです。
あの辺の稲刈りっていうと9月くらいだから、必要な藁も手に入るし病人が出やすい季節の変わり目だしで、そういう行事をするにはちょうどいい時期だったんじゃないでしょうか。今も、大体9月とか10月とか、それくらいの時期になると藁縄が渡されます。
こういうのって何も私の住んでいた場所特定の習俗じゃなくて、全国的にあるんですね。道を横切るように立てるから、道切りとか辻切りって呼ぶそうです。
私の地域では、しめ張りとか、縄吊りとか呼ばれてましたね。
それで、この縄吊り、一見すると見た目がおどろおどろしいのに、行事自体はいたってのどかと言いますか。
ボロボロの木造の公民館の床に青いビニールシートを敷いて夕方から集まって、子供も大人もわいわい言いながら竹を切ったり、藁を編んだりして作って。工作の授業みたいで楽しかったですね。
作り終わると子供はジュースやお菓子が貰えて、それも楽しみでした。
数人が夜のうちに竹を道に立てて結んで、あとは雨風に曝されて自然に藁縄が切れるまでただ設置しておくっていう、非常に受動的な行事なんです。
管理する人が誰かというのは一応は決まっていて、近所で順番に回しているんですが、大体は竹を立てたらそこでお役目終了でした。倒れた竹が道にはみ出したりしないようにくらいは流石に気にしてたと思いますけど。
それで、これは、もう随分前の話なんですけど、最近、急に気になってしまって。
私は道草が好きで、まずまっすぐ家に帰宅しない子供でした。
その日も一人で通学路から随分離れて遠回りして、松ぼっくりを拾ったり、いい感じの木の枝で地面を掘ったり石を川に投げたりしながら、ぶらぶらしてたんです。
あちこち回って、自宅のちょうど裏手のあたりの細い道を歩いてきて、周囲はかなり暗くなってましたね。
街灯がぽつぽつ点き始めていて、母がパートから先に戻っていたら道草を怒られると思って、普段は使わないルートで帰ることにしたんです。
私の実家は集落の堺にあるんですが、その裏手、実家の庭側に並んでもう一軒、1階建ての平屋の戸建てがあったんです。近所でも有名な、所謂ゴミ屋敷というやつでした。
私の家は、集落のこっち側でしたが、その家は庭の半分が集落の境界を跨いでました。
ただ、あれが庭だったのかはわかりませんでした。とにかく、ゴミがすごくて。地面なんか見えなかったです。
ゴミは全部、最寄りのコンビニのロゴが入った白いビニール袋の口を固く縛ってあって、それがブロック塀から縁側まで積み重なってて。
錆びて茶色になった物干し竿が軒先にあったんですが、そこにも同じビニール袋がずらっと提げられてました。
その家、私は無人かと思ってました。室内の様子は曇りガラス越しなので、よく見えなかったですし。夜に、室内に明かりがつくこともなかったので……
でも、中には確かに人が住んでたんですよね。時々中から、がさがさって音がしていたので。多分室内にもあのビニール袋がいっぱいに積まれてたんじゃないでしょうか。そこをかき分けるみたいに、誰かが動いていたんです。
引っ越して来たばかりの頃、回覧板はあの家に回さなくていいと両親が言われていたので、近所付き合いはありませんでした。
これは私が大人になってから、母に聞いて知りました。家を建てる時の挨拶回りで自治会長の所へ行ったら何よりも真っ先に、そう言われたらしいです。聞いた時、何となく田舎の湿っぽさを感じて微妙な気分になってしまって。
あそこは野菜とか果物とか、おすそ分けの文化がかなり残っている土地で、帰宅するとドアノブにヒトと皮のついたトウモロコシがパンパンに詰まった袋が下げられてるなんて感じで。
でも、あの家のドアには誰も寄り付かないんです。まあドアノブは無くて、引き戸でしたけど。
あの家を跨いで隣の家のドアには果物の詰まった袋がぶら下がっているのを見るのは、子供ながらに何となく自分が仲間外れに加担しているようで気まずくて。
そのゴミ屋敷と我が家の庭の柵は、ゴミ屋敷側のブロック塀と細い、人ひとりがようやく通れる小道が隔ているだけでした。
だから、ブロック塀を超えて、小道に降り、庭の塀を登ってしまえば、すぐ私の家なんです。
しかも、庭側から入れば最悪母が帰っていたとしても、ベランダの鍵は大体開けっ放しだったので、そこからこっそり自分の部屋に帰ることができる。
それで私は、ブロック塀を登ることにしました。
ブロック塀はよくある、サザエさんに出てくるみたいなタイプのでした。
なんて言うんでしょう、あれは松の模様なのかな?とにかく足を引っ掛けるのにちょうどいい穴の開いたブロックが、いい塩梅にあって。
そこに足を掛けて登って、ゴミ屋敷の庭に降りたんです。
降りた途端、そりゃそうだって感じですけど、私はゴミ袋を踏んでしまって。
音はしないし、何かを踏んだ感触が殆どなかったので拍子抜けしたんですが一瞬遅れて、なまぐさい匂いがしました。
それまで、ゴミ屋敷なのに悪臭は全く感じたことがなかったんです。あんまりな匂いに鳥肌が立ったのを覚えてます。嗅いだことがない、ひどい匂いだった。何の匂いとか、表現できる匂いじゃないんです。
何かとんでもないものでも袋からはみ出して足を汚してるんじゃないかって恐る恐る、下を見たんです。
そしたら、袋が破けて中身が散らばってるのが見えました。全部、丸めたティッシュでした。
特に何か汚れを拭ったとか、そういうんじゃないんです。ただ、丸めただけって感じで。
それが風に吹かれて転がって、私のくるぶしとかふくらはぎにカサカサぶつかってくるんです。
なんだか、こうやって話すと別に怖くもなんともなく聞こえますね。
でも、この一面の袋の中身は多分全部、ただ意味もなく丸めたティッシュなんだって思ったら、わけが分からな過ぎて。生まれて初めて、鳥肌が全身に立つって経験をしました。
頭が真っ白っていうか、とにかくここから出なきゃって思って塀をよじ登って、自宅の庭に面した小路に飛び降りました。
母はまだ帰っていなくて、庭の柵の向こうに自宅の窓は真っ暗でした。どうしてだか、塀を超えたら悪臭も全くしなくなってました。
私はとりあえずほっとして、今度は柵を乗り越えようとして縄吊りを見つけたんです。最初は、それが縄吊りとは気づかなかったです。
ちょうど縄吊りの時期で、私も何度か藁縄を編むのて手伝ったり藁人形を作っていて縄吊りは見慣れてたんですけど、かなり様子が違ってました。
うちの庭には、電柱が1本立ってるんですよね。
家を建てる前からあった電柱で、ほんとに雀の涙ですけど1年ごとに電力会社から敷地料が振り込まれてて。
その電柱とブロック塀の、私がよじ登る時に使った穴の開いたブロックにピンク色のビニール紐が渡して結び付けてあったんです。
蛍光色だったので、紐は暗くてもよく見えました。
そこに、何かがぶら下がっているのが見えて、それでああこれは縄吊りだってわかったんです。
紐にぶら下がっていたのは、何かを書いておみくじみたいに畳んで結び付けた黄色っぽい紙と、髪の毛を紐に括りつけられたリカちゃん人形でした。
リカちゃん人形は、ギンガムチェックのワンピースを着てて白いハイヒールを履いてました。こういう時って変なことばっかり覚えてますよね。
今思うと、ティッシュなんかよりもこっちのほうがよっぽど不気味ですよね。
でも私は、ゴミ屋敷の人は公民館にも入れて貰えずに、きっと自分でやってみたくて縄吊りを手作りしたんだと思って、怖いよりも悲しいというか、やっぱり村八分に加担している恥ずかしさ、惨めさみたいなものを覚えてました。
それで、あんまり怖いと思っていなかった私は人形の服が可愛かったのもあって興味をそそられてたので、何気なくビニール紐に触ろうとしたんです。
そしたら、カサカサって音がして。あのティッシュの。それで、大分弱いけれどあの嫌な臭いがむわっと流れてきて。
視線を感じるとか本当にあるんですね。なんだか首のあたりが異様に頼りなくて無防備な気がするっていうか、物凄く不安な気持ちになって、首を横に向けたんです。
ブロック塀の穴から、男の人がこっちを見てました。
穴はそこそこ大きいので、その人の顔から肩くらいまでが見えたんです。
普通の男の人でした。私はてっきりお爺さんが住んでいると思ってたんですけど、30代か40代くらいでした。
その人は「切っていいよ!切りたいの?」って、大きい声で聞いてくるんです。声がすごく高くて、抑揚がなくて自動音声みたいな感じでした。私は固まって何も言えなかったので確か、いいです、とか何とか曖昧に言って首を振ったんです。
男の人はぱくって口を閉じて黙ってしまって、でも、ブロック塀にべったり貼り付いてて、しばらく動きませんでした。
本当に普通の男の人なのに、目を開いたまま口だけ大きく開けた笑顔が失礼な話相当危ない人に見えて、おしっこ漏れるかと思いました。
でも、そのうち男の人は穴から顔を離してガサガサ音を立てて、どうやら男の人が自分の家に向かって歩き出して離れていくらしいって、ほんと心底ほっとした。
私はさっさと自宅の庭の柵を乗り越えようとして、ちょっと高い位置に足を置いた状態で、止めればいいのに振り向いたんです。
曇りガラス越しに、ぼんやり男の人が満面の笑みなのが見えました。
しかも今にも手をかけて窓をガラガラッとか開けそうなのを見て、柵から転げ落ちたんです。間抜けなんですけど、足首をパッキリ骨折しました。おしっこ?洩れましたね。死ぬかと思った。
私はヒーヒー泣きながら庭を這って行って、ちょうど帰って来た母に見つけて貰って、そのまま病院に運ばれました。
今もこの体験のせいで、登場人物が骨折する映画が観られないんです。
男の人は得体が知れなかったけど、骨の折れる痛みの方が、子供にはよっぽど怖かったですし。
私は隣の市の病院に3週間入院して、その間父も母もマメにお見舞いに来てくれて、友達も連れて来てくれたりしたので退屈はしませんでした。
でも、戻ったらまたあのゴミ屋敷が家の側にあるんだと思うと、退院するのがちょっと怖かった。
両親にはゴミ屋敷の住人と会ったことは話しませんでした。どうして話さなかったのか、自分でもよくわかりません。危ない事をしたことを叱られるのが嫌だったのはありますが、それよりももっと、多分、何となくあの人を可哀想と思ったことを気取られるのが嫌だったんだと思います。
子供心に両親が苦労して一戸建てを買ったのは分かってましたし、あの場所で暮らし続けるために両親がとらなければならない態度を遠回しに自分が批判してると思われなくなかったのかも。まあ、こんなの全部後付けですけど。
確か、退院したのは10月末でした。車から降りて、やたらと見通しがいいな、と思いました。
ゴミ屋敷が、きれいさっぱり無くなっていたからでした。
私が入院している間に、ゴミに寝煙草か何かが引火してたった3時間で全焼してしまったそうです。ティッシュですもんね。きっと、あっという間に燃え移ったと思います。
両親ははっきりとは言いませんでしたが、たまに夕食のときにする目配せとか沈黙で、住んでいた方は亡くなったんだなと分かりました。
縄吊りに限らず、だと思うんですけど。ああいう行事で張られた縄って、別に誰に言われたわけじゃないですけど、絶対に切っちゃいけないものじゃないですか?映画や小説なんかだと、それを切ったせいで必ず何か起こりますし。
それをあの人は私に切らせたかったって、大人になって考え付いたらぞっとしました。
大体、集落と集落の堺にそれぞれ邪気を寄せ付けない縄吊りをしたら、あちこちで弾かれた悪いものはどこに行ってたんだろうって。
悪いものってぼんやりした言い方ですけど、妖怪とか魔物っていうよりも、疫病を流行らす神様らしいんです。神様を門前払いし続けるって、どうなんでしょうね。
ああ、高校に上がってから確認したんですけど、私の家とゴミ屋敷を結んでいた縄吊りは、燃えてしまったのか無くなってました。
ただ、電柱には熱でビニール紐の破片が貼り付いてましたね。
ゴミ屋敷のあった場所は、更地のままですよ。ソーラーパネルが置かれるって話に3年前くらいかな、なったらしいんですけど、土地の権利がどうとかで頓挫してるって。
最近私、山登りが趣味なんですよ。
そんなに険しい山じゃなくて、ちょっとした渓谷を散策するのが楽しくて。
今も変わらず道草が好きなので、あちこちぶらぶらしてるんです。
迷子?それが、大丈夫なんですよ。山道って道に迷わないように、あちこちに印が付いてるの、知ってますか?見たことありません?リボンだったり、ビニール紐だったりするけど、色は大体赤とかピンクなんですよ。それが、枝や木なんかに結び付けてあるんです。
それを見た時に、ふと地元のことを思い出してしまって。
それから、これはきっと私の勘違いだって思うし、勘違いだって言って欲しくて今こうして話してるんですけど。
私地元から出て、今転勤して■■にいるんです。アパート借りて住んでて。
買った食器の裏に付いた値段のラベルとか、ほつれて出てきたセーターの糸とか、ちゃんと剥がしたり切ったりするタイプですか?
私、そういうの全然駄目で。
この前引っ越しの時に食器を梱包してたら、4年前に買ったマグカップの裏に値札が付きっぱなしだったくらいなんです。
だから、そういうの放っておくのなんて、全然気にならないんです。そのはずなんです。
アパートの敷地に駐輪所があって、私そこに通勤用の自転車停めてるんですよね。
気づかなかったんですけど、駐輪所の影の敷地に電柱が立ってるんです。
そこに、ピンクのビニール紐が括りつけてあるんですよ。ぐるぐるって。
昨日なんですけど、実家に電話して、なんであの家を買ったのか、聞いてみました。
子供ながら、引っ越して来たてで新築の家の裏手に、ゴミ屋敷があるのは奇妙でしたし、他にも家を建てるスペースはあるのにって。
家を建てる場所を下見に来てあの家を見て、何故わざわざあそこに住んだのかと。
出たのは多分母だったと思うんです、多分母だとは思うんですけど、まだ落ちてないのかって言われました。どういうことだと思いますか?
母がそんなこと言いだすもんだから、夢見が悪くて。寝てると、布団の中のとこにね、黒い何かがゴロンッて落ちてくるんです。あれ、本当に重くて。
あ、すみません。そうなんです、駐輪所の電柱の紐、あれって違いますよね。ただの紐ですよね。
だから切っちゃっても全然大丈夫ですよね。私、多分あれを切らないと駄目なんです。
ああ、そういえば山道の遭難防止のピンクの紐。
あれって、営林署が伐採する木の幹に括ってるのもあるんですって。伐採って。もし見間違えたら迷っちゃって死んじゃいますよね。ねえ。
『■■市で住宅火災発生 男性が意識不明の重体(■■年10月3日)』
2日午前2時20分ごろ、■■■市■■区■■の1階建て木造住宅一棟が全焼する火事がありました。
同日未明「建物から煙が出ている。中に逃げ遅れた人がいるかもしれない」と、近所に住む女性から消防に通報がありました。
警察などによると、火はおよそ2時間後に消し止められましたが、木造1階建て住宅が全焼しました。
この火災で、この家に住む■■■■■さんが病院へ搬送されましたが、全身にやけどを負い意識不明の重体です。
警察は、火事の詳しい原因について調べています。
『住宅火災 焼け跡から遺体 住人男性と連絡取れず(■■年10月6日)』
2日に発生した■■■市の住宅の焼け跡から性別不明の遺体が発見された火災で、焼け跡からガソリン成分が検出されたことが捜査関係者への取材で分かった。現場には投棄物が多く放置されていたとされ、庭から炎が上がる様子を近くの住人が目撃しており、短時間で激しく延焼したとみられる。
焼け跡、床下から発見された遺体には頭部が切断された痕があり、両手足は折りたたむように縛られていた。警察が身元の確認を急いでいる。
また、この家で暮らしていたとみられる男性が病院に搬送されて以降行方が分からなくなっており、警察は男性が何らかの事情を知ってるとみて行方を捜している。